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Histoire - イストワール -
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兎に角救いたかった。
ほんの少しでも安慈の心が安らぐように。
つーわけで「螺旋」をup済み。

今日の分の後編解説?いってみましょー。

因みに以下はArionが漫画を読んだ際に感じた
謂わば勝手な解釈で語っています。
確実にそうだと決めつけることなぞ出来ませんし
読み手によって解釈なぞ十人十色。
他の考えや捉え方があって当たり前なので
誹謗、中傷はやめて温かい目で読んでやって下さいね。

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原作の和月先生が描いた安慈は結局
「祈りや想いで人は救われない。救う事は出来ない」
と解釈したままに終わってしまいました。
だたそのやり方が間違っていたという事だけは
安慈も左之助の言葉と拳で理解してくれたはず。
そう言うと宗次郎とちょっと同じような感じですけど…
答えが見つかっていない感じですね。
これからも25年を疫に服しながら長い時間を掛けて
安慈は答えを見つけるのでしょうけれど…
そんな安慈の心を少しだけでも軽くしたいと思ってました。

「人は想いに救われる」
椿達が安慈和尚に幸せを願って貰って救われていたように
ヒロインもまた安慈のその救いたいというその想いが、
例え自分を見ていなくとも救われていた。

安慈はそれを言葉にされて心からの由美の笑顔を見て
それに心なしか救われる気がした。
間違っていたのは遣り方で、願いや想いは間違っていなかったと
気付かせて貰ったと…言う風にしたかった。
死んだ子供達も左之助の言うとおり、「和尚の幸せ」を
想っていたはずなんですが、安慈は心を閉ざしてしまうので
その想いに救われ無かったんでしょうね。
というか、届いてないというか…。

安慈は新月村の栄次と似ていますよね。
家族を失って何も失う者のない栄次は、復讐を誓って刀を握りました。
栄次は死を恐れてはいませんでしたから、
そこだけが安慈と違うんですが…
まぁ、安慈は死を恐れるというより負けられないという気持ちか。
ただ復習に走ろうとした栄次を剣心は止めてくれた。
でもこの国を恨んだ安慈は誰も止めてくれなかった。
栄次の様な子がそのまま育ってしまったタイプだと思います。
気持ちはシンプルで至極単純なんですよね。
きっと間違っていないんですよ。
ただ、止めてくれる人がいる…というか、
声を掛けてくれて、気にかけてくれて…
自分を想ってくれる人がいると、いないではだいぶ違うんですね。

安慈とヒロインのSSは結構考えが湧いていて
その内作って曝したいとも思っていますので、
暇な時にでも確認してやって下さい。

これで安慈編は終了。
次は蒼紫編です。


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